5/27(月) | 次回、物資の搬送に伴う準備など、ご紹介させていただきます。 アトリエでは、今、以下の物資を手配中です。 ・ドッグ、キャットフード(5kg以下の袋詰めまたは缶詰)、用品、おやつ、猫の砂。 ・スカーフ、UV日傘、帽子、など ・日焼け止め、化粧品 ・下着、靴下 ・夏用衣類 ・長靴、雨傘、かっぱ、 ・作業着 ・タオル ・大判バスタオル ・殺虫剤 ・調味料(みそ、塩、しょうゆ、砂糖、コンソメスープのもと、だしの素など) ・ふりかけ、のり ・小サイズ 野菜ジュース ・書籍(国語辞典や、小説、単行本) ・ウエットティッシュ(身体を拭くもの) ・整髪料(男性用) ・入れ歯洗浄剤 ・老眼鏡 ・爪きりなどグルーミングセット などなど。 |
5/05(金) | (*今回、慌てて出発したため、デジカメを持参し忘れました。携帯の画像しかなく、申し訳ありません。) 5/05午前中。 今回の、物資搬送のための確認のご連絡を、被災地と行ったところ 翌土曜日に物資が届く予定をしてくださっているとのこと・・・。 実は、当地出発を、土曜日に設定していたため、被災地への搬入は、日曜日の予定でした。 が・・・しかし。 ここは、スケジュールを含め、被災地の皆様のご希望を、最優先に考え、行動することが、最善です。 電話を切った後、即、最終梱包作業を整え、同時に関係者、仲間たちへ、連絡を済ませ、一路愛知に向かいました。 愛知の龍清さんのいらっしゃる倉庫に到着すると、泣純^ナベ重機の社長をはじめ、従業員の方が、倉庫から全てのパレットを搬出し、きれいに並べて下さっていました。 私たちが到着後、今回積載してゆく物資のピックアップが作業がスムーズに運ぶべく、とのご配慮だったようです。 さすが! 感謝!です。 おかげさまで、作業は、日付変更線ギリギリ前に終了しました。 全員、汗ダク。 社長さん、龍清さん、共に最初から最後まで、動きっぱなしの準備でした。 大阪チームは、その後、帰阪の途につき、私たちは、宮城、岩手を目指し出発しました。 今回は、宮城県災害対策本部に立ち寄ることを、スケジュールに組み込んでいたので、天候の都合で、どちら(物資のお届け)を先に済ませるか、道中、何度も渋滞状況と、天気予報とにらめっこし、ギリギリまで、判断しかねていました。 結局、先に宮城に入り、その後、岩手県、一関市にうかがうと、決定。 関係各所に、トラックより電話連絡を致しました。 災害対策本部との打ち合わせを行った後、トラックを岩手に走らせました。 一関のインターを降りたスグのところに、大きなホールの建物があるのですが、前回ここを通過したときより、損傷が明らかに激しく、余震のすさまじさを実感いたしました。 そして、一関に有る”H動物病院”に到着。 前回同様、院長先生をはじめ、スタッフの皆様が、温かく、お迎えくださり、また、診察時間中お忙しい中、みなさん、快くお手伝いくださいましたおかげさまで、物資が次々と下ろされてゆきました。 駐車場にて。 左)奥にあるのが、院長先生のデスクです。物資置き場として、開放してくださっております。 右)右奥に移っているのが、診察室への扉。扉開閉線の、ギリギリまで、物資が並べられてゆきます。 動物用、人間用共に、お届けさせていただきました。 物資を全て降ろし、しばし院長先生のお話をお伺いさせていただきました。 お話の内容につきましては、https://www.coslove.jp/kyuenbusshi.html に掲載させていただきます。 その後、H動物病院を後にし、愛知に向かって出発しました。 愛知までの850kmの道のり、途中何度か休憩をしました。 まだまだ雪が残っている山肌を見て、関西とはずいぶん違うな、と感じました。 寒い地域だけあって、桜並木に遭遇。 どんなに、厳しい冬の後でも、春は、必ずやってきます。 また、気がつけば、前回と同じサービスエリアだったり・・・。 そこで、前回もいた、カラスに再び出会ったり・・・。 運ばれて行く牛と遭遇したり・・・。 生きるってことの意味を考えさせられた瞬間でもありました。 道中、一度も運転を交代することなく、今回も走りきってくださった龍清さん。 愛知に到着後、即、車輌メンテに突入・・・・。 この後、大阪チームのお迎えの車輌と合流し、帰阪の途につきました。 今回の、支援物資搬送も、多くの方々のおかげさまで、無事任務終了致しましたことをご報告させていただきます。 道路公団の協力体制をはじめ、公的機関、行政は、時間の経過と共に支援するということの温度が、顕著に下がってきているのも事実です。 また、マスコミで流れる一部の情報の切り取りが、全てだと思い込み、遠隔者の支援は必要ないと理解されておられる方もいらっしゃるようです。 しかし、現実とはもっと残酷で過酷なものです。 今後も、被災地の皆様と直接連絡をとりながら、可能な限り、支援活動を継続してゆきたいと思っております。 みんな一緒に。 がんばれ、ニッポン。 |